続・現代をみる

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「テロ等準備罪」に関する個人的見解

現在、国会において、「テロ等準備罪」についての審議が行われています。これに関しては、賛否両論さまざまな意見・見解がありますが、私の個人的見解を記しておきたいと思います。

 

これは、悪質な組織的犯罪を未然に防止するため、また、国際組織犯罪防止条約の締結のために必要な法整備だとされています。日本では、かつて、オウム真理教の関わる一連の事件があり、これも、現在の定義で言えばテロの範疇に入るでしょう。これらの悪質な組織的テロ行為を未然に防止することは、日本の治安を良好なものに保つためには必要不可欠の取り組みだといえるでしょう。

 

この法律が抱える潜在的な問題点としては、時の権力によって恣意的に運用され、不当に通信傍受などが行われ、治安当局による管理社会になってしまうのではないかという指摘があります。しかし、このような事態は本当に起こり得るのでしょうか?

 

確かに、技術的には、管理社会を構築することは、そう難しいことではない技術水準に達していると思います。しかし、そのためには、法規制というものもありますし、旧東側諸国や大日本帝国憲法下の治安維持法があった頃の日本のような社会を想像することは、あまりに飛躍した想定だと思います。その時その時の権力側が、適切な運用を行い、悪質な組織的犯罪を規制することに限定して、社会を構築していき、国会や国民によるチェック機能をきちんと働かせていけば、そういった極端な管理社会は現実には考えにくいでしょう。

 

時の政権の最大の使命は、日本の社会・経済を適切に運営し、国民の幸福を実現するために必要な施策を立案・実行し、治安を良好に保ち、国の恒久的発展を図ることにあるはずです。国民に不幸をもたらす国家は、健全な国家とは言えません。そのような前提に立てば、国民に不利益をもたらすような、不当な法運営が行われれば、国家運営のそもそもの方向性とは乖離し、政権の維持は自ずと困難になることでしょう。そういう、国家の健全な自浄作用が適切に働いていれば、また、それらを維持していけば、国家の健全な発展が図られるはずです。

 

私の見解は、一種の理想論と言われるかもしれませんが、理念なき国家運営は、逆に危険でもあります。このようなことを防止するためにも、私は一定の個人的見解を表明することを努力して継続しています。

 

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